投資銀行を辞められない

こんばんは、ゆとりです。

特段何かあったわけではないのだが、ふとこのブログのことを思い出し、久しぶりに書いてみようかなと思う。

大学一回生以来、実に5年ぶりの更新である。

まずは近況報告から。

と言っても以前のブログ更新時から特段価値観および行動原理に変化はない。

前のブログの内容を少し発展させて、

「人の活動に価値が宿るとするなら、それは絶対的なもの(もしくは”辿り着かなければならない場所”)ではなく、人類の発散的拡大という活動そのものにある。」

という仮説を今は持っており、少しでも憧れを持ったものに対しては盲目的に獲得(実現)することを大事にしている。
そういう意味で一つの行動指針を打ち立てられているというのは以前から一つの進歩であろう。

 

ただ悩みもある。

恥ずかしいことに未だに自分のアイデンティティを確立できていないことだ。

自分で言うのもなんだが、人よりは多趣味であるし、割と何をやってもそこそこできるレベルまではいける。

ただ”そこそこ”止まりなのである。

何事もそこそこ詳しく、そこそここなせるとはいえ、自分といえば何かと聞かれた時に結局答えられる物がない。

贅沢な悩みではあるのであろうが、時々一種の虚しさを覚えるとともに足元が消えて落ちていくような感覚に陥る時がある。
生きる土台である自己肯定感が揺らぐのだ。

そんな時に最後の防波堤となってくれるのが、投資銀行という職業である。

連絡を取ってくれている人やSNSを見てくれている人であるなら知っているかと思うが、私の職場はとんでもなくブラックである(日系ではあるのだが)。

繁忙期だと始発が動いてから帰るのが当たり前、通常時でも平均26時帰りといった有様なのだ。

ただ、こんなにブラックで辛い辛いと思っていても辞められない。

それは他の全てを失っても今の仕事を続けている限りは仕事をアイデンティティとして、なんとか自己承認して生きてられることが分かっているからだ。

 

折角趣味がいっぱいあるのだから、その一つをアイデンティティとして確立させてあげて生きればいいと思う方もいるかもしれない。

何なら私自身もそうしたいと思っている。

例えば、今一番コストをかけて取り組んでいる踊ってみたはどうだろうか。

確かに私はダンスが好きだ。

ディズニーのショーを初め宝塚やDリーグにも夢中になっているし、自分が踊ることにも少ない自由時間のうちの多くをかけて取り組んでいる。

ただ(この内容でブログを書こうと思ったきっかけでもあるのだが)、最近頭打ち感を強く感じている。

ほんの少し前は練習すればするほど上手くなれるのがすごく楽しかったのだが、最近は自身の才能の無さといくら練習しても自分が満足のいくレベルには辿り着けないことを思い知らされる毎日である。

あんなに楽しかった練習も最近はあまり楽しくなく、もうやめたいなと思い始めてしまっている自分がいるのだ。

特にダンスは他の趣味と比べても苦手意識が強く、本当に好きなのだがそれ故にこのギャップが辛い。(自身の得意と憧れが不一致を起こしているのも悩みの一つである。)

 

単純に自分が頑張るのではなく、応援する、鑑賞するといった趣味の楽しみ方もあるのではという意見もあるだろう。

しかし私の場合はこういった受動的趣味をアイデンティティとすることはできない。

なぜなら生きる上での価値を、「より良い理想を描き、それを希求する」という行動そのものに見出しているからだ。

受動的趣味が能動的趣味に劣るとは思わないが、私の場合は価値観に照らすと足り得ないのである。

 

それに対し、今の職業は本当に辛くて時たま死にたくなる(何ならちょいちょい意識が飛ぶ)のであるが、本当の最後の最後に自身を肯定してくれて生きる意味になってくれることが分かっている。

そうなると手放すのが惜しいのだ。

今が辛いのも他にやりたいことがいっぱいあるからであって、仕事一本であれば耐えられるレベルというのも何とも絶妙な塩梅である。

 

このままだと心身体に影響が出てくると分かってはいるのだが、なかなかに踏ん切りがつかない。

 

やはり生きるというのは難しい。。